2015/01/29

無知の知

シャルリーエブドの悲しい事件や、今もなお解放されていない後藤さんやヨルダン人のパイロットの人、その他想像を超える悲しい目に遭っている多勢の人たちをより身近に感じるドイツにいて、やっぱり私たち日本人はイスラム教やその文化、暮らしよう、それを中心とした国々の成り立ちについて、あまりにも理解に乏しいんだということをあらためて感じる。

それは無理もないことだし、それ自体責められるべきではないともおもう。
一般的な日本の家庭に生まれ育てば、イスラム教徒の人たちと出会う機会もあまりなく、ましてや理解しなくても全く支障なく日本での生活は成り立ってしまう。興味もないまますぎていく。

今の私たちの国は一つの宗教というところを結束のよりどころにして成り立っているのではない。昔々から海の向こうからくるその時々でよいと思われるものを寛容に取り入れてきて今の日本があって、それはよいところであると思う。

だけれども、ほかの国々、宗教について理解を怠ってすむような世界状況では今はもうない気がしてならない。

今ドイツではペギーダに代表されるような反イスラム化運動が盛んに行われていて、参加している人たちの間では、ドイツはこれだけ移民に寛容で受け入れてきているにもかかわらずなぜイスラムの人たちは過激な思想に走りともすると後ろ足で砂をかけるようなことを我々にするのか、と。これはこれで一つの意見であると私は思う。

けれど、ほとんど大半のイスラム教の人たちは平和を望み、争いをさけ、幸せに暮らしていくことを望んでいる訳で、一部の過激な思想の人たちに振り回されるべきじゃない。

いかにお互い理解し、尊重し合うかということなのだと思う。

これ以上尊い命が失われないように。
後藤さんもヨルダン人のパイロットの人も、ほかに苦しんでいる人たちも、どうか救われますように。

2015/01/26

朝起きてみたら、外は雪だった。

先週金曜は一日中どんより曇っていて、冷蔵庫の中にでもいるような天気だった。
天気予報は週末にかけて雪で、これは本当に降りそうだなと思いつつ、まあ週末だし、雪降ってもいいか、なんて思いながら寝た。

朝起きてみたら、本当に外が雪景色になっていた。
こんなに降ったの、久しぶり。ほぼ2年以上ぶりかな。
真っ白で、びっくりした。

そんなに気温は低くなかったから、すぐ解けるんだろうなと思っていたら、本当に今日月曜日は一日中雨で、雪はすっかりなくなってた。

引きこもり助長する週末の雪でした。


2015/01/19

デュッセルドルフで、ベートーベン交響曲第5番を聞いた。

今日はデュッセルドルファーシンフォニカの演奏会へ行ってきた。
まずはCharles IvesというひとのCentral Park in the Darkという、ちょっと現代クラシックな曲、続いて、MorzartのKonzert fur Klavier und Orchester C-Dur KV 467 という曲で、ピアノはKit Armstrongというアジア系アメリカ人の演奏。この人がまた素晴らしく、流れるような演奏。全く楽譜もみずに。(当たり前か。)ど素人の私ナノだけれども、この人のピアノはすごかった。

そして、お目当てのBeethoven. Symphonie Nr.5 c-Moll op. 67.
こうしてドイツにいて、ベートーベンが聞けることが本当に幸せだった。デュッセルドルフ交響楽団の人たちも演奏しながら心なしか誇らしげに見えた。

昔々、中学の音楽室に飾ってあった、バッハやらモーツアルトやらベートーベンやらの肖像がを何となく眺めて、レコードを聞いていたけれども、まさか自分が何十年後かにドイツにいてベートーベンの運命を聴くことになるなんてなー。

勝手に運命というものを感じ、考えた今夜でした。

オーケストラを身近に感じることができる、デュッセルドルフ交響楽団。Tonhalleにて。

2015/01/08

2015年1月8日

年はあけて、もう2015年。

12月17日の夜便で日本へ帰って、おとといデュッセルに戻ってきた。
もうすぐヨーロッパ生活も丸13年になるけど、やっぱり日本には’帰る’、そしてこっち(ヨーロッパ)にも’戻る’。
今まであんまり自覚なかったけれど、考えてみると、こんな風に年に何回か日本とヨーロッパを行ったり来たりする生活って、こんなに長い期間に渡ってのこうゆう生活ってなんかやっぱり変わっているよねぇ。

いつまでたっても日本が恋しい。でも私の生活の術はこっちにある。

二股生活はこれからもしばらく続きそう。

今年もよろしくお願いします。