2015/01/29

無知の知

シャルリーエブドの悲しい事件や、今もなお解放されていない後藤さんやヨルダン人のパイロットの人、その他想像を超える悲しい目に遭っている多勢の人たちをより身近に感じるドイツにいて、やっぱり私たち日本人はイスラム教やその文化、暮らしよう、それを中心とした国々の成り立ちについて、あまりにも理解に乏しいんだということをあらためて感じる。

それは無理もないことだし、それ自体責められるべきではないともおもう。
一般的な日本の家庭に生まれ育てば、イスラム教徒の人たちと出会う機会もあまりなく、ましてや理解しなくても全く支障なく日本での生活は成り立ってしまう。興味もないまますぎていく。

今の私たちの国は一つの宗教というところを結束のよりどころにして成り立っているのではない。昔々から海の向こうからくるその時々でよいと思われるものを寛容に取り入れてきて今の日本があって、それはよいところであると思う。

だけれども、ほかの国々、宗教について理解を怠ってすむような世界状況では今はもうない気がしてならない。

今ドイツではペギーダに代表されるような反イスラム化運動が盛んに行われていて、参加している人たちの間では、ドイツはこれだけ移民に寛容で受け入れてきているにもかかわらずなぜイスラムの人たちは過激な思想に走りともすると後ろ足で砂をかけるようなことを我々にするのか、と。これはこれで一つの意見であると私は思う。

けれど、ほとんど大半のイスラム教の人たちは平和を望み、争いをさけ、幸せに暮らしていくことを望んでいる訳で、一部の過激な思想の人たちに振り回されるべきじゃない。

いかにお互い理解し、尊重し合うかということなのだと思う。

これ以上尊い命が失われないように。
後藤さんもヨルダン人のパイロットの人も、ほかに苦しんでいる人たちも、どうか救われますように。

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